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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』淡路編 > 石の寝屋〈ねや〉(淡路町岩屋)

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更新日:2012年11月12日

石の寝屋〈ねや〉(淡路町岩屋)

今から千五百もの昔には、淡路にも大きな鹿やいのししがいっぱいいたようです。もちろん、良いお米や魚もずいぶん豊富だったものですから、それらの品物が次々に朝廷〈ちょうてい〉に送られていました。その頃の話です。
允恭〈いんぎょう〉という天皇が、ある年の秋、淡路へ狩りに来られました。草木のおい茂った山や野には、大鹿や猿やいのししがいくらもいましたし、そして空には鴨〈かも〉、雁〈かり〉がむらがっていましたが、たった一つのえものもありません。ふしぎに思った天皇は、連れてきていたうらない師に、その訳をうらなわせました。
すると、そのうらないの中に、伊邪那岐〈いざなぎ〉神社(一宮町多賀)の神様が出てきて、言うことには、
「このたび、天皇が一つのえものも得られないのは、これは私がしたことである。実は、赤石〈あかし〉(明石)の海の底に真珠〈しらたま〉がある。それを取ってきて私に祭るなら、このあたりのえものを残らずとらせよう。」
その話を聞いた天皇は、すぐに近くの海人〈あま〉を大ぜい集め、さっそく赤石〈あかし〉の海にもぐらせました。けれども、海が深くて、誰一人、底近くまでもぐれる人はいません。
「ええい、ふがいない海人たちだ。名の聞えた海人を知らぬか。」
「申しあげます。隣りの国の阿波〈あわ〉(徳島県)の長邑〈ながむら〉という所に、男狭礒〈おさし〉という人がおります。この人は、他の人の倍ももぐれるということでございます。」
「では、さっそく使いを出せ。」
こうして、阿波から呼び寄せられた男狭礒は、天皇の命令で真珠を取りに海へもぐることになりました。腰に長い長い縄をつけて、みるみるうちに海の底へ消えていきました。
しばらくして浮び上ってきた男狭礒は、
「この底に、とても大きなあわびがあり、それが光っている。けれど、とても深くてあそこまではもぐれそうもない、どうしょう。」
舟の上の人々は、くちぐちに言いました。
「それこそ、島の神様の欲しがっておられる真珠にちがいない。なんとかそれを取ってください。」
「どうか、わしたちの神様を喜ばせてあげてください。」
「けれど、さっきもぐったので、縄はもう五十尋〈ひろ〉(一尋は、約一・五メートル)をこえてたぞ。これ以上はとてもむりだ。」
男狭礒はしばらくの間迷っていましたが、やがて決心したように、再び海の中に消えていきました。縄はぐんぐんとのび、さきほどの五十尋はもうこえていました。誰もかれもかたずをのんで見守っていましたが、六十尋にもなった時、縄を引く合図があった。
「やったぞ。それ、早く引け。」
みんなは、必死で縄をたぐりよせましたが、海面に浮んだ時には息も絶え、波の上に死んでしまいました。
けれども彼の腕の中には、とても大きなあわびがしっかりといだかれていて、その貝の中には、なんと桃くらいの大きさの、それは美しい真珠が入っておりました。
それを伊邪那岐〈いざなぎ〉神社に祭りますと、神様のおおせの通り、たくさんのえものを得ることができましたが、天皇には、男狭礒の死がかわいそうでなりません。身分の低い人の死ですが、天皇は男狭礒のために大きな墓を作り、ていねいにとむらってあげました。

現在、岩屋の浜から山の方へしばらく登っていくと、「石の寝屋」と人々が言っている、大きい石組みがあります。これは、昔の古墳〈こふん〉のあとです。土地の人びとは、それを男狭礒の墓と呼び、遠い昔、悲しく死んでいった人の物語りを今に伝えています。

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