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更新日:2012年6月20日

市池(緑町倭文)

むかし、しずおりというおりものがつたわった地倭文〈しとおり〉に大きな池があった。秋の台風がやってくるころになると、池の堤ぼうがきれて困っていた。
「なんとか池のていぼうがきれないようにするええ工夫がないかのう。」「うん、そうじゃ、こんげ(こんなに)たびたびきれると、たまらんわい。」村人たちはこういいながら治水工事をしていた。
「うんそうじゃ、この堤に人柱〈ひとばしら〉を入れたらええんじゃい。つつみがきれんとの事じゃい。」「なに、人柱!」「だれがはいるんじゃい。」みんなだまりこんでしまった。
「たれか入る勇気のある者いないかい。」「芳兵衛〈よしべえ〉どうじや。」「わしゃまだ、命がおしいでのう。」誰も入るものがない。いろいろ相談していると、「そうだ市のおまえどうじゃ、いいだしたんだ一つ命をめぐんでおくんなさらんか。」「そりゃええ、いいだしよった者が入るとえいや。」みんなは、がやがやいいだしたが、誰も入る人がいない。たまたま、市から人夫にきて働いていた男がはいることになった。

人柱にきまった人の家族〈かぞく〉は大変悲しがり、二十一日分のたべ物をもって水さかずきで別れをおしんだ。
「おとうったらそんげ〈そんな〉こと言うからよ。」「それはあまりにかわいそうじゃ。」男は肉親とわかれを惜しん〈おしん〉で、ある日みんなの見まもる中を、静かに池の堤にやってきた。
かんねんしたのか、落着いた口調〈ちょう〉で、「わし一人がぎせいになれば、この池の堤〈つつみ〉がきれないのなら…。」と巡礼風〈じゅんれいふう〉の着物〈きもの〉にはかま、鐘〈かね〉と二十一日分の食りようをもって堤〈つつみ〉深く堀〈ほ〉られた穴〈あな〉へ静かにはいっていった。生きている間はずっと鐘を鳴らすため、息抜きをしておく。すみきった秋空の下、細いがひびきのある鐘の音は堤の中から遠く〈とおく〉まで鳴り〈なり〉ひびく。
「チーン、チーン」きょうも、きこえる、かわいそうに、澄みきった〈すみきった〉日は現在の市の生家〈せいか〉まで聞こえたという。
家族は市の生家から毎日かわるがわるこの音をきき、めい福をいのった。十日たち十五日たった。
こうして十七日目、鐘〈かね〉の音〈ね〉はだんだん細く小さくなってきた。十八日目からは聞こえない。

以後数百年に及ぶ今日まで池の堤がきれたということを聞かない。淀川〈よどがわ〉にも人柱が入っていると言い伝えられているが、倭文の神道の地にもこうした伝説がある。そしてそれ以後〈いご〉池の名前を人柱となった人の出世地名をとって「市池」と名づけられたそうである。
今なお秋の夕ぐれになると、鐘の音が鳴ると言われている。

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