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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』淡路編 > 孝子 久左衛門〈きゅうざえもん〉(洲本市由良町)

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更新日:2012年10月15日

孝子 久左衛門〈きゅうざえもん〉(洲本市由良町)

「おい、あの山のすその方、あわてて行っとるのは、久左衛門ちがうか。」
「ほりゃ、そやて。また、きょうも、田で仕事しよったけんど、急に父親〈てておや〉のことが心配になって、鍬〈くわ〉ほっといて、いによんのじゃわ。」
「ほんでもまあ、あないな親孝行者〈もん〉知らんわ。なんでも、この間、どこやの親戚〈しんせき〉へいとったんに、急に雷が鳴りだしてしたら、家でおやじが心配しとるやろいうて、用事も言わんと、いんでしもてん、ちゅうこっちゃ。」
「そうよ、あんな働き者のくせに、雨や風のきつい日にゃ、賃〈ちん〉を倍やろ、いうても仕事にいかんねちゅうわ。それも、わがら(わたしたち)と考えちがうね。雨の日、仕事に行くやろ。そしたら、家でおやじさんが、久左〈きゅうざ〉がかぜ引けへんかと心配する。その心配をさせるのがすまん、とまあ、こういうこっちゃ。」
「久左衛門の親孝行なん、この由良〈ゆら〉で知らん人、ないやろのう。」
「あほらしい、こないだ下郡〈しもごり〉(三原郡のこと)へ行ってしたら、久左の話しよったぜ。」
「えらいもんじゃな、あの年になって。あの人は、母親にはよ死なれたよってに、よけい父親〈てておや〉にあない親孝行すんねなあ。お前もちっと、あのまねせえよ。」
「いやあ、ほれより、わしゃあ、あんな子供持ちたいわ。」
近所の人が、こんな話をする位、久左衛門の親孝行は、いたれりつくせりのものでした。ですから久左衛門の、感心な話はいくつもあります。

冬の寒い夜は、自分の着物を父親のふとんの上に掛けてあげる。父親はそれを見て、「わしはええさかい、孫にかけたれ。」という。すると久左衛門は、すなおに「はい。」といって、自分の子供の上に掛けてやる。けれども、父親がぐっすり眠ってしまうと、やはり父親のふとんの上に、そっと掛けてあげるのです。
父親が、稲のできぐあいを心配すると、背負って田んぼまで連れていってあげるし、父親が年寄って、見に連れて行けなくなると、できの良い稲の穂を選〈よ〉り取って、父親を喜ばせた。日照りが続いたりして、久左衛門の田んぼがあまり良くない時には、近所の家から実〈みの〉りのいい穂をもらって帰り、父親のうれしそうな顔を見ては、胸をなでおろしました。
父親に、少しの心配もかけまいとする、その心づかいはこんなにもやさしいものでした。

時代は、徳川の初期でしたが、その時の淡路の国の家老〈かろう〉であった稲田植栄〈いなだたねよし〉という人が感心して、久左衛門を呼び寄せて、ごちそうを与え、
「お前の孝行には、全く感じいった。わしに、くわしくそれを話してくれんか。」
と言ったけれども、久左衛門は、
「人は、みな、わしが親孝行もんじゃといいますけんど、わしゃ、今まで孝行やいうような、そんなことはしてません。」
「そのつつしみ深いことばに、ますます感心したぞ。それでは、お前が、父御〈ててご〉(お父様)に、一番すまぬと思っていることがあろう。それを聞かしてくれぬか。」
というと、今までほとんど口をきかなかった久左衛門、
「わしの母が死んだ時、父はまだ若うござりました。それで、わしは、新しい母上にきてほしかったのじゃが、父が許してくださりませんでしたので、父はその後も、一人暮らしのようなもの。父をいたわり、なぐさめる人がおりませんので、それが気になっておりますのです。」
「お前の親孝行で十分じゃと思うがのう。ところで、きょうお前がここの城に来ておるのを、父御〈ててご〉はご存じかな。」
「へえ、それが、いつもは出かけるところを、ちゃんと父に言うのですが、きょうは言うてません。」
「そりゃまた、なぜかの。」
「へえ、よそならともかく、お上〈かみ〉に召されたりするのは、たいてい叱〈しか〉られることでござります。もし、そんなことを父に申しましたら、父はどんなに驚き、心配するかも知れませんので。」
これには、家老も苦笑しましたが、噂〈うわさ〉にまさる親孝行ぶりに感じ入り、ずいぶんたくさんのほうびをたまわったということです。
久左衛門の家は、それからずっと十六代つづき、明治になってからは、姓も「孝子〈こうし〉」と改めて、先祖のりっぱな徳をたたえつづけているのです。

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