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更新日:2012年6月20日

回り弁財天(津名町佐野)

佐野の川原之里〈かわはらのさと〉(今の北浜)に、城喜代〈じょうきよ〉という目の見えない法師(坊さん)が住んでいました。


ある日、城喜代が、好きなビワをひいていますと、高野山にいる叔父〈おじ〉さんの旭昌〈きょくしょう〉の使いの者がやって来ました。
「旭昌さんがぜひ、高野山へ来てほしいと申しております。」
「そうですか。まいりましょう。」
城喜代は、急いで、旅の用意をととのえると、使いの者に、ともなわれて高野山へ…
高野山へ登った城喜代は、なつかしい叔父さんの手をにぎりながら、涙をながしました。
「城喜代!よくきた。よくきた。大変じゃったろう。」
「お久しぶりでございます。」
「まあ、ゆっくりしていきなさい。」
「はい、ありがとうございます。」
叔父の旭昌は、昔、佐野の浄福寺の住職から身をおこして、修業をつみ、高野山に登って、有名になった名僧で、清巌寺〈せいがんじ〉(今の金剛峰寺)というお寺におりました。旭昌が名僧といわれるのは、さとりをひらいた、すばらしい坊さんだったからです。城喜代は、高野山で、毎日毎日、旭昌に教えられ、自分でも、いっしょうけんめい信仰の道に励げみました。

ある夜のことです。
城喜代が、石に腰をおろして、信仰のことを考えながら、ビワをかきならしておりました。

すると、むこうに、きらりと光るものが感じられます。
「あれ?なんだろう。」その光は、だんだん近づいてくるようです。城喜代は、ビワをかきならすのも忘れて、ぼうぜんとなってしまいました。
「あ!女の人だ。」目もくらむような光の中で、美しい女の人が、目の前に立っていました。そして、その女の人が口を開いたのです。
「そなたが、淡路から来たという城喜代か。わたしは、そなたのむくな(純粋な)心にうたれた。そなたとともに、淡路へ行くことにしよう…」そういって、その女の人は、消えてしまいました。夢だったのです。目の見えない城喜代に、女の人の姿がみえようはずがありません。しかし、城喜代は、なにか、今までになかったすばらしい力が心の底からみなぎってくるような感じをうけました。

翌日、叔父〈おじ〉の旭昌に呼ばれて、
「おまえは、よく修業に励げんだ。感心じゃ。そろそろ淡路へ帰るがよい。」
「ありがとうございます。」
「ところで、山を下りるにあたって、わしが一番大切にしている弁財天の軸をつかわそう。これは本朝(日本のこと)の三秘品の一つじゃ。わしの遺品と思って大切にしてくれ。」
城喜代は、弁財天の軸をわたされたとき、「あっ!」と驚いてしまいました。昨夜、夢に出てきた美しい女の人とそっくりだったのです。
城喜代は、叔父さんに別れをつげ、涙をながしながら、高野山を下り、淡路へ帰ってきました。
そして弁財天の軸を床の間にかけて、毎日、祈りつづけました。
ところが、一と月たった頃、一族の者が疫病〈えきびょう〉になって死にそうになったので、占ってもらいますと、卜者〈ぼくしゃ〉(占いをする人)が言うには、「弁財天のありがたい軸を俗家(一般の家)に置いておくからだ。すぐ宮を建て、そこで祭れば、病は治る。」と。
そこで、城喜代は、里の人たちに相談して、五熊〈いつくま〉という地に宮を建て、弁財天の軸をおまつりしました。そして、城喜代が中心になり、里の人たちが集まって、お祭をしました。

城喜代が死んでから、お祭りはたえてしまいましたが、脇坂安治〈わきさかやすはる〉という殿様がこの話を聞き、妙音講〈みょうおんこう〉として、各村々をまわってこの祭をつづけさせました。これが、今もつづいている淡路の「回り弁財天」のおこりです。

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