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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』淡路編 > 力持ち庄左衛門〈しょうざえもん〉(五色町鳥飼)

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更新日:2012年10月15日

力持ち庄左衛門〈しょうざえもん〉(五色町鳥飼)

むかし、五色町の鳥飼〈とりかい〉の村長〈むらおさ〉をした人に、佐野庄左衛門という、大変な力持ちの人がいた。
背の高さは一メートル八十センチ位もあり、相撲〈すもう〉を取るのがことのほか好きで、その強さは、淡路の国ではかなう者がなかった。

ある時、役人が、鮎原〈あいはら〉村にある大やぶを伐〈き〉りひらかせたことがあった。人々が、汗まみれになって、大竹を伐〈き〉り倒しているのを、庄左衛門も見ながら指図〈さしず〉していた。役人は庄左衛門に向かって、
「あなたの力持ちぶりはじゅうぶん知っているが、このような太い竹を引き抜けますかな。もし引き抜けたら、その竹は全部あげますよ。」
「どうですかな、ひとつやってみますか。」
にっこりうなずいた庄左衛門は、ゆっくりと大竹の根に手をかけた。周囲は四十センチもあろうかというやつ。みんな仕事をやめて、そのまわりに集ってきた。腰を落して、足をふんばると、「えいっ、」とばかり、大声を出してみごとに引き抜いた。
「あれよ、あれよ。」とみんながびっくりしている間にも、庄左衛門は、太そうな竹ばかり選〈えら〉んで、「えいっ、えいっ。」と抜いてまわった。
「いやあ、庄左衛門殿、もうよく分った。お止〈や〉めくだされ。」
役人が、あわてて止〈と〉めた時には、すでに三十六本を抜いていたという。抜いた竹全部が、庄左衛門に与えられたのは、いうまでもない。

このほかにも、牛の角〈つの〉を折ってしまった話、お伊勢参りの途中、茶店に寄って、床机〈しょうぎ〉(広い腰掛用の台)に腰をおろすと、床机がこわれてしまったという話などもあります。
お伊勢参りから帰った後、今度は和歌山まで旅をした。淡路一の相撲〈すもう〉取りが来たというので、紀伊〈きい〉(和歌山)の殿様は、お抱〈かか〉えの相撲取りと勝負をさせたが、庄左衛門はかんたんに投げとばしてしまった。その強さに感心した殿様は、おほめのことばと共に、左文字〈さもんじ〉の名刀や、綾織〈あやお〉り(もよう織り)の褌〈ふんどし〉などをたまわりました。

淡路へ帰ってきた庄左衛門、ある夜ふけに、近所の家から自宅に帰っていると、今まで明るかった月夜の空が、急にかき曇るとみるや、あやしげな風が吹きだした。さては妖怪〈ようかい〉が現われたなと思ったので、ちょうど持っていた左文字の刀の鯉口〈こいぐち〉を切り(刀を少し抜きかけて)、頭の上にかざして、舞い狂う黒雲をにらみつけていた。
魔風〈まかぜ〉はしだいに強くなったと思うと、とつぜん空中から、「うわっはっはっは。」と大声で笑う声がした。何とも気味〈きみ〉の悪い声だったが、おそいかかってもこない。そのうちに、だんだんと風もおさまり、もとどおりに空も晴れてきて、庄左衛門は無事に家につくことができた。「あの時、助ったのは、あの名刀のお蔭〈かげ〉だ。」と、後で庄左衛門はよく人に語っていた。

寛文〈かんぶん〉の頃(約三百年前)、庄左衛門は六十歳すぎでなくなりました。土地の人々は、庄左衛門の珍らしい生涯〈しょうがい〉を惜しんで、阿弥陀〈あみだ〉堂の境内〈けいだい〉に石碑〈せきひ〉を建てました。今も、鳥飼の中組にあって、北御堂〈きたみどう〉と呼ばれているお堂がそれです。
その後も、庄左衛門の有名な話を聞き伝えて、他の国からも、わざわざその碑を訪〈おとず〉れ、その力にあやかろうとして、石碑〈せきひ〉に穴をあけて、石のかけらを持ち帰る人もあったということです。

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