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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』淡路編 > 田尻〈たじり〉の源作〈げんさ〉(南淡町阿万)

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更新日:2012年12月10日

田尻〈たじり〉の源作〈げんさ〉(南淡町阿万)

阿万の田尻に、源作という力持ちがおりました。
丁度、明治二十七、八年の日清戦争のあと、洲本市の由良に砲台をつくることになって、近くの若者が働きにいきました。
その中に源作もおりました。
由良の町から砲台まで、セメントを運ぶ仕事です。トラックのない時代で、細い山道をセメントをつめた樽〈たる〉を一人一人が肩にかついで上ったものです。
たいていの力持でも一樽七五キログラムもあるので、一つをやっとかつぐ程度です。しかし源作はとてもたいした力持ですから二樽づつかついでいきました。
日当(賃金)の計算は一日何樽運んだかで決めます。二つずつ運べば、他の人の二倍になります。他の人は源作の怪力におどろいたり、うらやましがったりしました。
或る人がひやかし半分に、「源作欲ばっとるのう。」と言うと、「何ぬかす。」といって、ふりかえりざま、かついでいた二つのセメン樽を両手で振り上げて、仁王〈におう〉様のような目をむいて怒ったので、「すまん、すまん。」と平あやまりにあやまってその場はおさまりましたが今更のように源作の剛力〈ごうりき〉におどろいたそうです。

或る日、先山詣りをすることになって近所の友だち三人とつれ立って出発しました。
ちょうど今の緑町広田のあたりまで歩いて来ると、そのあたりの青年が、二・三〇人あつまって、力石で、力くらべをしていたそうです。昔はよく力くらべをやったそうですが、その力石がなかなかおもくて、肩に上らない。二時間あまりも歩いて来た三人は、一服〈ぷく〉(ひとやすみ)しながら見物していました。
ひざ小僧のあたりまでは、上るけれども、なかなか肩まで上らない、入れかわりたちかわり青年たちがやってみるけれども、上らない。
このようすがあまりこっけい見えたので、「ハッハッハ」と笑うと、青年が怒〈いか〉って、「おっさん笑うなら一ぺんもってみい。」というので、友だちの一人が、「よっしゃおっさんが上げたろ、よう見とれ。」といって、その力石を、「どっこいしょ」とかついで見せました。青年たちは感心して拍手をしました。その人が源作を指して、「このおっさんは、わしの二・三倍もの力持だぜ。」というと青年たちは、びっくり仰天〈ぎょうてん〉したそうです。

阿万の八幡さまの境内に、日清・日露の戦争で、名誉の戦死をなさった方々の、忠魂碑を建てることになって、石の土台をつくって、その上に石碑をのせることになりましたが、千二・三百キログラムもあるので、昔のことどうして上げたらよいやら、みんなとほうにくれました。ところが不思議なことに翌朝になると、ちゃんと石碑が土台の上にのっかっているではございませんか、だれがどうして上げたのか、みんなはびっくりするやら、うれしいやらで、大変な噂〈うわさ〉になりました。
この噂が耳に入ったのか、入らないのか源作はただニヤニヤ笑っていたそうです。

またこんなお話もあります、これはかなり後の話になりますが、源作の娘さんが、お嫁〈よめ〉に行って、或る夏の夜、そのだんな様が、風呂に入っておりました。昔の風呂は、てっぽう風呂といって、丸い桶〈おけ〉の下の方に、たき口があって、煙突もついていましたから、水の入っていない時は、二人位で持ち運び出来たのです。
ところがとつぜん、夕立がザーッと降って来ました、だんなさんが裸だから、びっくりしてまごまごしていると、そのお嫁さんがとび出して来て、だんなさんの入った風呂ごと家の中へ運んだそうです。さてもさても力の強い話よな。
この力持ちの源作のおじさんは最近まで生きておりました。

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