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更新日:2012年6月20日

灰繩と一揆(緑町広田)

緑町の広田に天明の志士碑〈ししひ〉が立っている。
この昔ばなしは、めぐりめぐっておもしろく伝わり、年とった人たちの間で語りぐさになっている。


三百年の昔、この地方を治めていた殿さまがえらいおふれをだしたそうだ。
殿「わしの目にあうきれいな縄をぬって参れ。」
村人「はあ、かしこまりました。さーてさて、どんな縄でございまする。」
殿「うん、とにかく、大阪の商人に売るんじゃ、ひげ一本ないきれいな縄じゃ。」
村人「それは、あまりにこくでございまする。」
殿「なに、こくとは何じゃ、わしの言うとおりにしなけりゃ、きょうからこの道を通すことならん。」
村人「そりゃ、こりゃ大変だ。」

村人どもは、みんな相談している。きびしい規格〈きかく〉の縄をつくらせ、大阪の市場へ出すことが目的であったらしい。不作と、高い年貢〈ねんぐ〉にあえいだ村人どもは一揆〈いっき〉をおこそうとした。また仕事にあまり役に立たない老人や子供たちをいためつけ、村におりてきては、
殿「こりゃこりゃ、縄ができたか、縄が縄が…。」
老人「いやはや、わしら、とても縄などなえまへん。」
殿「何、縄がなえない。それじゃ、牢〈ろう〉に入れよか、首うちしようか。」
村人「それはあまりかわいそうでございまする。」
殿「そうか、牢に入れるもかわいそうなれば、灰の縄を作って参上せよ。」
村人「それはあまりにかわいそうでございます。」
殿「これこれ、何を申す。」
村人「はあ。」
殿「はやく灰の縄をつくってまいれ、罪をゆるすであろう。」
村人「どうじゃ、何かよいちえがないかい。」村人たちはあちこちで集って語りあう。その中村長が
村長「そうじゃ、縄をぬってやけばはい縄ができるんじゃ、わしゃ一生一代のちえをしぼって考えたんじゃ。」

こうして、殿の命令にしたがい難題とされていた灰の縄をつくって参上することができた。こうして縄騒動まではよかったが、元和の頃、淡路を領していた蜂須賀〈はちすか〉の家老たちが、ますます重い税をかけてきた。
あまりの重税に奮いたった〈ふるいたった〉宮村の才蔵は心から、殿様に向かって
才蔵「殿さま、村人たちは重い税にくるしんで居りまする。」
殿「何じゃ。」
才蔵「縄騒動以来、米の年貢の高いこと、村人どもは今食う米さえなくて、困っておりまする。」

殿「何をいうか、年貢を納めにまいらぬ者ども、みな打首じゃ。」
才蔵「いやいや、子や孫ども飢えかけておりまする。年貢が高いので百姓ども一揆をおこして殿をせめると申して居りまする。」
殿「何、何を申す。お前はかわり打首じゃ。」
才蔵「それじゃ、わし一人がぎせいになれば、村人ども許していただけまするか。」
殿「いかにも、もっともじゃ。」
といって宮村の才蔵がぎせいになり、騒乱〈そうらん〉の罪のため、処刑〈しょけい〉されたそうである。

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