ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 小式部祈〈こしきぶいの〉りの松〈まつ〉(明石市魚住町長坂寺)
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更新日:2013年3月11日
長坂寺寺山〈ちょうはんじてらやま〉に、小式部祈〈こしきぶいの〉りの松があり、四方〈しほう〉に枝をはる大木〈たいぼく〉で有名〈ゆうめい〉でした。その木の下にあった五輪塔〈ごりんとう〉は、今も“小式部の菩提塔〈ぼだいとう〉”とよび、腰〈こし〉いたの神さまとして、おまいりしています。
小式部は、平安時代の歌人〈かじん〉として有名な和泉式部〈いずみしきぶ〉のむすめです。大へん美しく、歌も母〈はは〉ににて、すぐれていました。
あるとき、一条天皇〈いちじょうてんのう〉が、とくに大事〈だいじ〉にしておられた一条院〈いちじょういん〉の松が、急〈きゅう〉によわってかれそうになりました。それで天皇は小式部に、
「この松が、かれないようにいのりの歌〈うた〉をつくれ。」
と、おっしゃいました。そこで、
「ことわりや 枯〈か〉れてはいかに 姫〈ひめ〉小松 千代〈ちよ〉をば 君に ゆづるとおもへば」
と、よんだところ、ふしぎにも松は緑〈みどり〉の色をふきかえし、元気になりました。
和泉式部は、姫路の円教寺〈えんきょうじ〉におまいりしての帰り道、魚住町長坂寺の寂心上人〈じゃくしんしょうにん〉をたずねました。そして、自分に先立〈さきだ〉って死んだむすめの小式部を幻〈まぼろし〉にでも見たいと、一心におきょうをよみました。そして、
「あらざらん この世〈よ〉のほかの思い出に 今ひとたびの あうこともがな」
と、この歌を口ずさみました。すると、ふしぎや、せんこうのけむりの中から、ぼんやりと小式部の姿〈すがた〉があらわれました。
そこで、母の式部は、都〈みやこ〉に帰り、天皇におねがいして、お庭にあった松を長坂寺に移〈うつ〉しうえました。魚住の道しるべにも「小式部いのりの松」ときざまれており、むかしをしのばせてくれます。
江戸時代〈えどじだい〉に、明石のとのさま松平忠国〈まつだいらただくに〉は、この話をきいて、ここに祈りの松の碑〈ひ〉をたてました。
そして、
「移〈うつ〉しうえて しめゆふ岡〈おか〉の姫〈ひめ〉小松 いまも いのらむ 代代〈よよ〉の栄〈さかえ〉を」
と、歌をよみ、魚住村の人に、この松を大事にするようすすめたとつたえられています。
(魚住村誌から)
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