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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 化〈ば〉けダコとお后〈きさき〉さま(明石市林崎町・二見町)

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更新日:2012年9月24日

化〈ば〉けダコとお后〈きさき〉さま(明石市林崎町・二見町)

むかし、林崎村の内〈うち〉、岸崎〈きさき〉(今の林崎の西の岸崎)に、西窓后〈せいそうこう〉・東窓后〈とうそうこう〉という二人のお后〈きさき〉が、おられました。また、海のなかには足の長さが八キロメートルから十二キロメートルもある大ダコが住んでいました。
この大ダコは、二人の美しいお后を、何とか海のなかへ引き入れようと、足をのばし、家のまわりをうろつくようになりました。お后さまは、おそろしくて、夜も昼も家の中にとじこもっておられました。

同じころ、二見の浦(今の二見町)に、浮須三郎左衛門〈うきすさぶろうざえもん〉という武士がいました。三郎左衛門は、天皇に申し上げ、その大ダコを退治〈たいじ〉しようと決心しました。
いろいろ工夫し、何度も失敗しました。そして、思いついたのがタコツボだったのです。
今のものと同じ形のたいへん大きなツボを、じょうぶにつくりあげて、藤江〈ふじえ〉の海にしかけました。
大ダコは、まんまとこのタコツボにはいってしまい生〈い〉けどられて、浮洲〈うきす〉に引きあげられてしまいました。
三郎左衛門は、はい出ようとする足を一本、一本切っていきました。ほんのはしの方を、ちょっぴり切っただけでも、その長さ十四メートル、足の太さが、直径〈ちょっけい〉一メートル十センチもありました。大ダコは腹を立てあばれにあばれて、とうとうこの大タコツボをひっくりかえしてしまいました。
地上に立ちあがった大ダコは、たちまち山伏〈やまぶし〉に化〈ば〉け、北へ北へと逃〈に〉げだしました。三郎左衛門は、刀をふりかざして一生けんめい追〈お〉いかけ、林神社の東の谷に追いつめ、みごと四つにたたき切りました。
四つに切られた大ダコの山伏は、その場ですわりこみ、大きな石になってしまいました。天皇はこのことを聞〈き〉かれ、大そうお喜〈よろこ〉びになり、三郎左衛門にたくさんのほうびをくださいました。そして、
「松岡のおとど源時正〈みなもとのときまさ〉と名乗〈なの〉るがよい。」
と、名前もいただきました。

村びとたちは、タコのうらみのこもった石をおそれて、近づきませんでした。その後、ある人が、この石を南へ移そうとしましたが、びくとも動きません。こんどは、北へ引こうとすると、木の葉のように、かるがると動きました。びっくりして、元〈もと〉にかえし、それからは、もうだれもその石に触〈ふ〉れようとしませんでした。
いつのころか石の間から、きれいな清水がわき出るようになりました。はじめは、林神社の祭〈まつり〉の日の神酒〈おみき〉だけをこの水でつくりましたが、後に、村の造〈つく〉り酒屋〈さかや〉の酒水〈さかみず〉になり、立石〈たていし〉の井〈い〉と呼ばれ、戦争前まではうっそうとした森の中にあり、夏のま昼〈ひる〉、この木かげにいこう人たちに、すずしい水をあたえたものでした。

(日本伝説叢書「明石の巻」から)

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