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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 飛鉢塚と米塚(高砂市伊保町・米田町)

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更新日:2012年6月1日

飛鉢塚と米塚(高砂市伊保町・米田町)

今から千三百年あまりの昔、法華山一乗寺〈ほっけざんいちじょうじ〉を開いた法道仙人〈ほうどうせんにん〉は、たびたび仙術〈せんじゅつ〉を使って鉄鉢〈てつばち〉を諸方〈しょほう〉に飛ばし、諸国から供物〈そなえもの〉を寄進〈きしん〉してもらっていました。それで当時の人びとは法道仙人のことを空鉢〈くうはち〉仙人とも呼んでいました。
さて、法道仙人にとって一番のお目あては瀬戸内海を往来〈おうらい〉する船で、印南郡伊保崎〈いほざき〉村の竜山〈たつやま〉南ふもとにある松林の石の上に鉄鉢〈てつばち〉をおいて、沖合いを通り過ぎる船を待ちかまえていました。

ある日、米俵〈こめだわら〉を満載〈まんさい〉した船が伊保崎〈いほざき〉の沖にさしかかりましたので、法道仙人はさっそく鉢を飛ばして寄進を乞い〈こい〉ましたが、船主〈ふなぬし〉がすげなく断わり〈ことわり〉ましたので、鉢〈はち〉は空〈から〉のまま法華山〈ほっけざん〉まで飛んで帰りました。
ところが不思議なことに、船いっぱいに積みこんで〈つみこんで〉あった米俵〈こめだわら〉が次から次へと空中高く舞い上がったかと思うと、空鉢〈くうはち〉の後を追うように広びろとした印南野の野山を一気に飛び越えて、法華山の方向に消えて行ってしまいました。
「これは、どうしたことじゃ。」船人たちはただ驚きあきれて、あれよあれよと騒ぐ〈さわぐ〉ばかりでしたが、船主は法華山〈ほっけざん〉に駆けつけて〈かけつけて〉、「あのお米はお上に納める年貢米〈ねんぐまい〉ですから、私が自分勝手〈かって〉に寄進〈きしん〉するわけにはまいりません。だからお断わり〈おことわり〉したのです。どうかあのお米をもとに戻して〈もどして〉ください。」とお願いしました。
もっともないい分でしたので、仙人は船主に米俵を返してやることにしました。
そこで千俵〈ぴょう〉の米俵〈こめだわら〉がふたたび大空を雁〈がん〉の群れ〈むれ〉のように整然〈せいぜん〉と飛行して沖合いの船まで帰って行きましたが、途中でそのうちの一俵が印南川のほとりに落ちました。そこは伊保崎村の東北約一キロメートルの地点で、仙人の念誦仏〈ねんしょうぶつ〉である薬師如来〈やくしにょらい〉を安置したお堂があって、土地の人びとの信仰を集めている所でした。そのご本尊への供物〈くもつ〉として仙人が仙術でもって米俵を一俵この地に落されたのでした。

以来、この場所を米塚〈こめづか〉と名づけ、また米が堕ちた〈おちた〉ことから地名を米堕〈よねだ〉村と呼ぶようになりました。これが後に米田村と改められ、現在の米田町の名の起こりとなったのです。なおまた、仙人がいつも鉄鉢をおいていた場所に、後年伊保崎村真浄寺〈しんじょうじ〉の智城〈ちじょう〉法師が「法道仙人空鉢塚〈ほうどうせんにんくうはちづか〉」と刻んだ〈きざんだ〉記念石をおいたことから、そこを飛鉢塚〈とびばちづか〉と呼ぶようになりました。が、その記念石も最近の土地開発のあおりを受けて所在をいろいろとかえ、現在は竜山〈たつやま〉のふもとの加茂〈かも〉神社の境内〈けいだい〉に保存されています。

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