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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > オコゼと山の神(社町平木)

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更新日:2012年12月17日

オコゼと山の神(社町平木)

「聞いたか。」
「うん。」
「太郎やんが腰をくじいたそうやな。」
「作やんは足を切ったし、お今〈いま〉はんもがけからおっこちたんや。」
「えらいこっちゃのー。」
「なんでこんなことが続くのやろ。なんとかせなあかん。」

むかしむかしのその昔、源義経〈みなもとのよしつね〉が三草山の平家を攻めたより、もっとまえのことです。ここ、丹波〈たんば〉と播磨〈はりま〉のさかいにある平木〈ひらき〉村は、そのうわさでもちきりでした。山からたきぎや炭をきりだし、また、おぼんやおわんを作ってくらしているこの村で、ちかごろ、山仕事にはいった人びとがたて続けにけがをしたのです。大さわぎをするのもむりのないことでした。このぶんだと、明日から仕事ができなくなってしまいます。生活ができなくなります。
村びとたちは、みなより集まっていろいろ考えました。ひとりでうなってみたり、ひそひそささやいたり・・・。その結果、つぎのようなことがわかりました。けがをした日は、いつも月の十日であること。場所は清水寺〈きよみずでら〉のふもとの芦原〈あしわら〉ふきんが多いなどです。
その時、一人の老人が芦原の山すそにちいさな祠〈ほこら〉があったことをふと思いだしました。さがしてみますと、なるほど草にうずもれた石の祠がくずれかかったまま、忘れられているではありませんか。てっきり、この山の神さんの「たたり」だということになりました。そこで、みなは手わけをして祠のそうじをし、鳥居〈とりい〉をたてました。おみき・もち・季節のくだもの・やさいなど、いろいろのおそなえものがならべられました。村中そうでで、神霊〈みたま〉をしずめるお祭りや、おどりをしたことはいうまでもありません。みなはほっとしました。これで、山の神さんのたたりはおさまると思われたからです。
そのよく日から、山での仕事がはじめられました。
ところが、しばらくしてまた事故〈じこ〉がおきはじめました。こんどは女の人ばかり―それも美しい娘さんが多かったのです。みなは、はたと困ってしまいました。もう手のほどこしようがありません。平和をとりもどしたかに見えた村は、ふたたび不安のどん底に沈んでしまいました。村びとたちが頭をかかえこんでいますと、平〈へい〉やんという、すこし頭がよわいと評判〈ひょうばん〉されている若者がいいました。
「わし、ゆうべ夢をみたんや、芦原〈あしわら〉にぎょうさんの神さんが集まって相談してはった。そのまとめ役があのほこらの神さんや。あの神さん、女やで。それもひどい顔してはった。そいで、オコゼがほしいというとってやった。」
みなは心配も忘れてどっと笑いました。平やんの、このとっぴもない夢の話を、てんで頭から信用しなかったのです。
しかし、ほかによい思案〈しあん〉もないので、おぼれる者がわらでもつかむように、年よりたちの意見をいれて、平やんの夢を信じることになりました。若者たちが、高砂〈たかさご〉の港までオコゼを買いにいそぎました。そして、おそなえしました。山の神さまは自分よりもみにくいオコゼの顔を見て満足されたのか、そののちはたたりもなくなりました。

毎月十日は、女はもちろん男も山仕事をやすみ、山の神さんにかならずオコゼをおそなえすることにしたのです。オコゼをおそなえする風習は、いまでもつたわっています。

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