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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > 三本卒塔婆〈そとうば〉のはなし(相生市矢野町能下)

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更新日:2013年3月11日

三本卒塔婆〈そとうば〉のはなし(相生市矢野町能下)

聖徳太子に重く用いられた、秦河勝〈はたのかわかつ〉は、蘇我入鹿〈そがのいるか〉ににくまれ赤穂にのがれて住んでいました。

ある日、失意〈しつい〉の胸をなぐさめるために、相生市矢野町で狩りをしました。
奥矢野でもいちばん山深い箕覆山〈みのうさん〉までやってきました。
河勝は、峯〈みね〉から谷間へ「えもの」を追いおとそうと、勢子〈せこ〉を峯におき、自分は弓をにぎって谷底にがんばっていました。
日ごろからかわいがっていた三匹の愛犬は、しきりにニオイ・・・をかぎながら、谷から谷へ走りまわっていました。
しばらくすると、三匹そろって帰ってきて、なにかを河勝にうったえるように、はげしくほえ始めました。
狩りにむ中になっていた河勝は、犬がほえると「えもの」がにげると思い、静かにしないかと、けんめいにおさえようとしましたが、犬はほえやむどころか、ますますさかんにほえたて、とうとう河勝の足にかみつきました。
おこった河勝は、刀をぬいて三匹とも切り殺してしまいました。
すると切れた犬の首は、そのまま空中をとんで向かいの山へいきました。
ふしぎに思った河勝が、首の飛んだ方を見ると、十メートルあまりもある大きな蛇〈へび〉が、河勝をねらって、鎌首〈かまくび〉をもたげており、犬の首はしっかり蛇に食いついていました。
はじめて犬のほえたわけを知った河勝は、涙〈なみだ〉を流して犬の霊〈れい〉にわび、その忠義に感謝〈かんしゃ〉をしました。
狩りを中止した河勝は、持っていた弓を三つにおって卒塔婆〈そとうば〉をつくり、ねんごろにほおむりました。
そして、その卒塔婆は三本卒塔婆とよばれるようになりました。

その後、弘法大師がここへやってこられたとき、この卒塔婆の由来をきいて、大同年間に寺を建てたといわれています。

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