• お問い合わせ
  • 文字サイズ・色合いの変更
  • サイトマップ
  • 携帯サイト

メニュー

ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > 当人〈とうにん〉(上郡町)

ここから本文です。

更新日:2012年10月1日

当人〈とうにん〉(上郡町)

山野里〈やまのさと〉の高峰神社に、高・峰・神・社と記した四つのみこしがありました。
その四つのうちの「神」が九月のはっさくの日(八朔、陰暦八月一日で農家の祝い日)に、大洪水があって流されてしまいました。流れ着いた所が東有年〈うね〉です。それから東有年の人びとは、毎年九月の八朔〈はっさく〉の日に、山野里の字〈あざ〉清水まで歩いてきて、川の湧き水で「こうり」をはじめたのです。
当人〈とうにん〉とは、この「こうり」によって清〈きよ〉められる者をいいます。当人となる者は、白矢のたった家の子どもがなるのです。今はくじ引きできめられているようです。当人になった男の子は、八朔〈はっさく〉の日以後は東有年の秋祭りまで、女の人の世話をうけてはなりませんし、女は世話をしてもいけないのです。当人の住む部屋は、家の中で一番りっぱな床の間を選んで、畳、建具から物入れにいたるまで新しいものにしなければならないことになっています。

戦後、この行事について反対意見がでました。それというのも、「この文明の世に、そんな古ぼけたこと。」などと、いろいろいわれたからです。その年は、この行事を中止してしまいました。するとその年、伝染病が流行し、大洪水で田は流され農作物がとれませんでした。東有年の人びとは、「やっぱり神罰〈しんばつ〉てきめん。」と毎年この行事を行なうことになりました。
昔は東有年から歩いて山野里の清水まできましたが、時代の波か、自動車にかわってしまいました。
また昔は、竹万や山野里の人びとがその行事をみにきて赤飯をもらったものですが、いまは当時とは大へんかわっています。

お問い合わせ

情報管理部広報係

電話番号:078-331-9962

ファクス番号:078-331-8022