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更新日:2012年6月20日
国道二十八号線を洲本から下っていくと緑町の広田に入る。
四方を小さな山にかこまれた美しい緑の草原がつづく。もと旧国道〈きゅうこくどう〉八丁目といわれたところへ来ると小さな地蔵がまつってあり、四丁(約四四〇メートル)ばかり南に古い藪〈やぶ〉がある。
大昔のころ、この藪の地方の低地〈ていち〉から、清水がわき出ていた。長い年月のあいだには、日でりのつづいた夏もあり、人々は、田に水を入れるのに苦労した。木枯のつづく冬などは、井戸の水がひあがり、のみ水さえも十分でなかったときがあった。
しかしこの低地からわき出る水は、たえることがなかった。夏の朝などは、この水で顔を洗うと、一日中さっぱりした気分になった。ある時は、あたり一面にあふれでるというくらいであったし、またその昔、仁徳〈にんとく〉天皇が行幸〈ぎょうこう〉されたとき、この水を奉献〈ほうけん〉したほどであった。ところが、宝暦〈ほうれき〉のころ、なぜかぴったり水の湧く〈わく〉のがとまってしまったのである。
村人たちは、何かおこるのではないかと心配した。
心配になった村人たちは、きっと、「神様が何かばつをあたえたのだろう。」と神様においのりをはじめた。
すると、ある日のこと、「この地に一農夫がやってきて、不浄〈ふじょう〉の具〈ぐ〉を投げ入れたのじゃ、この藪にもとどおり清水をのぞむならば、不浄の具をすばやく取りのぞくよう。」と神のお告げ〈おつげ〉があった。
村人たちは、さっそく不浄の具をさがしだし、取りのぞいてあたりを清めたところ、藪から二丁ばかり東にいったところに新しい清水を発見した。
村人たちは、よろこんでいつまでもこの霊水がわき出てくれるようおいのりをつづけた。
また、この水は、たびたび、帝〈みかど〉に奉献〈ほうけん〉され、神様などへお供えするようになった。
夏はとてもつめたく、冬は温湯〈おんとう〉のようで、何千年の昔から減じる〈げんじる〉ことなく、現在にいたっているふしぎな水で、淡路の霊水、清水の寒泉と呼ぶようになった。
広田の地に「清水」という姓はここから生まれたと言われている。
今日〈こんにち〉、往昔〈おおじゃく〉のころからつづいているこの泉の清らかさは著名〈ちょめい〉であり、いついつまでもつづいて欲しいものである。
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