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更新日:2012年12月24日
今の山東町〈さんとうちょう〉、楽音寺〈がくおんじ〉部落から竹田の筒江〈つつえ〉という部落に通じる、さびしい山道を、宝珠峠〈ほうじゅとうげ〉といい、その峠をずっと登りつめた所に、四反〈たん〉(四十アール)あまりの大きな田があります。
その山田のことを、土地の人は嫁ごろしの田とよんで、古くからの因縁〈いんねん〉話を伝えています。
昔、楽音寺部落に、大変がん固な、いじ悪な姑〈しゅうとめ〉(夫の母)がいました。ある日のこと、この姑が若嫁〈わかよめ〉をつれてこの峠にやってきました。そおしてあの一番大きな田を指さして、いいました。
「きょう中にこの田〈たん〉ぼを一人で植えてしまえ、日が暮れんまでにするんだぞ。」
と、いぢ悪そうにいいつけると、さっさっと家に帰っていってしまいました。若いお嫁さんは、姑のいいつけどおり、一生懸命になって田植をやりはじめました。昼の弁当も忘れて働きましたが、なかなか仕事は、はかどりません。日も段々西の空にかたむきはじめました。
ふと気づいてみると、一羽の烏〈からす〉がいつのまにきたのか、田の中におりてきて、あの大きな嘴〈くちばし〉で苗をつまんでは、ちょい、ちょいと器用〈きよう〉に植えてくれています。
「ああ、助〈たす〉かった、これで仕事もはかどったろう。」
と、股〈また〉ごしに後の方をのぞいてみると、なんとまだ半分も植つけがすんでいませんでした。あまりのことに驚いた嫁は、「うーん」と後にひっくりかえってしまいました。
冷たい山田の深い泥土の中にころんだ若嫁は、とうとう生きかえらなかったといいます。
その後、この田のことを、村の人はいつとはなしに、
“嫁ごろしの田”
といって、だれ一人として近づこうとしませんでした。とりわけ竹田方面に嫁入りするときは、決してこの峠は通りませんでした。
もし万一〈まんいち〉、何かの事情でこの峠を通らなければならないときは、その田の周囲を縄で張りめぐらし御幣〈ごへい〉(神かざり)をさげて、清めてからでないと通らなかったといわれています。
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