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更新日:2012年11月5日
むかし、知見村に又太郎という力持ちがおりました。知見村から二里半(一〇キロメートル)ばかり北の石井村には十左ヱ門という力持ちがおりました。どれくらい力持ちかといって、二人とも、それはそれは大変な力持ちでした。
又太郎の力持ちについては、こんな話があります。
又太郎が、わらで、はっそう縄(今の太いロープ)をないました。強い力でよじりあげるのでできた縄は、まるで木の棒のように固く一間半(二・七メートル)ぐらいの長さであれば、少しもゆがまずまっすぐ立ち、それどころか、その縄で天井板をつくと、板がはずれたり板に穴があいたりしたといいます。
また、高さ七尺(二メートル)もある割木の二間ぐまを運ぶのに、さす棒の前と後にくくりつけて、一度に持ってしまったというくらい力持ちでした。
一方の十左ヱ門については、こんな話が伝わっています。
ある時、十左ヱ門が草を刈って帰りましたが、草のたばの中に何か固いものがはいっています。おかしいなと思って中ををみると何んと、岩をいっしょに刈って帰っていたのです。
また、相撲をとるのに、孟宗竹をひきぬいて、まわしにしたともいわれています。
この二人、大の仲よしでしたが、よく力比べをしました。
或〈あ〉る日のこと、二人は、アズキの五斗俵でキャッチボールをしようということになりました。又太郎は知見のトンガリ山の頂上に立ちました。十左ヱ門は、五斗俵をもって石井の千芝の上に立ちました。十左ヱ門が、トンガリ山めがけて五斗俵をヨイショと、ほうりなげると、又太郎が、ふらつきもせずみごとに受け止めました。こんどは又太郎が、千芝の十左ヱ門めがけてヨイショと投げかえします。十左ヱ門もみごとに五斗俵を受け止めました。見ていた見物人たちは、やんやのかっさいをしましたが、俵を受け止めた時十左ヱ門のひざがすこし曲がったので、又太郎の勝ちということになりました。
(寺林操談)
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