ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』神戸編 > 鹿〈か〉のしし松峠〈まつとうげ〉の鬼人〈きじん〉(須磨区妙法寺・大手町)
ここから本文です。
更新日:2013年2月11日
一条天皇の時代、永延〈えいえん〉年間(九八七―九八九年)といいますから、平安時代のことです。高取山の北のふもとにある鹿〈か〉のしし松峠に鬼人がでて、旅人をくるしめていました。
兵庫から北に進んで夢野〈ゆめの〉のうら山をこすと、丸山〈まるやま〉のあたりに出ます。そこから高取山の北のふもとをぐるっとまわって妙法寺の奥に出、それから、多井畑をとおって塩屋に通じる古い街道がありました。これを人びとは「ふるみちごえ(古道越)」とよんでおり、兵庫から塩屋方面にむかう旅人のゆききがあったのです。この道が、高取山の北をとおる高みの所が、鹿のしし松峠でした。
あまりに人に悪事をはたらく鬼人の出没〈しゅつぼつ〉をみかねて、天皇は、そのころ高野〈こうや〉山で仏教の修業をしていた英雄丸〈えいゆうまる〉に命じて、この鬼人たちをしずめさせようとされました。英雄丸は藤原伊尹〈これただ〉の三男でしたが、名も証楽上人〈しょうらくしょうにん〉と改めて、この峠の近くにお堂をたて、日夜〈にちや〉、お経をとなえては仏さまに、鬼人が退散〈たいさん〉するようにといのりました。いく日もいのった結果、ついに鬼人は姿を消してしまいました。この高取山の西、禅昌寺〈ぜんしょうじ〉の東に「鬼ヶ平」という所がありますが、そこが鬼人のいた所だと伝えられています。また、証楽上人のたてたお堂が、勝福寺〈しょうふくじ〉のはじまりだということです。この勝福寺の南、権現町一丁目に証誠〈しょうせい〉神社がありますが、この神社の九月二十七日のお祭りにはかならず雨がふるので、人びとは、「しょぼしょぼ権現(証誠神社)、降る長田、生田〈いくた〉に降らぬことはない。」といい伝えています。
お問い合わせ