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奈良国立博物館(奈良博)は明治28年(1895)4月29日に開館(当時は帝国奈良博物館)して以来、令和7年(2025)をもって130周年を迎えます。これを記念し、このたび奈良国立博物館ではこれまでで最大規模となる国宝展を開催します。 その名も「超 国宝―祈りのかがやき―」 。神仏にまつわる祈りの造形にはそれらを生み出し、守り伝えてきた先人たちの深い思いが込められています。なかでも「国宝」は私たちの歴史・文化を代表する国民の宝として広く知られています。「超 国宝」という言葉には、そうしたとびきり優れた宝という意味とともに、時代を超え先人たちから伝えられた祈りやこの国の文化を継承する人々の心もまた、かけがえのない宝であるという思いを込めました。 この特別展では、奈良博や奈良の歴史に関わりの深い国宝を中心に、未来の国宝ともいうべき重要作品など、日本が世界に誇る名品の数々をご紹介します。国宝約110件、重要文化財約20件を含む約140件の仏教・神道美術を展示します。130年にわたる歴史を超え、国宝を生み出した先人たちの思いを超えて、文化の灯を次の時代につなぐため、奈良博が踏み…
本展示でスポットを当てるタイム・カプセルEXPO’70(以後、カプセル)は昭和45年(1970)に開催された日本万国博覧会を記念して、毎日新聞社と松下電器産業株式会社(現・パナソニック ホールディングス株式会社)によりつくられました。当時の文化を5,000年後の人類に向けて残すためにカプセルは4機製造され、そのうち2機は大阪城公園本丸御殿跡の地下15mに埋設されました。地上用に残された2機のうち、1機をパナソニック ミュージアムに、残り1機を当館の1階にて展示しています。 本年に大阪・関西万博が開催されることを記念してカプセルを“開封”し、2,098点に及ぶ物品と記録の中から「20世紀」「継承」「進歩」の視点で選りすぐった約130点を紹介します。 収納品はカプセルと別に保存していますが、本展示を観た方々がカプセルを開くイメージで個々の記憶を次々に 開封していき、さらにその記憶を次世代へ伝えていただきたいという想いから展覧会名を「オープン the タイムカプセル」としました。 収納品を通して55年前の人々の暮らしや技術に目を向け、今後50年、100年先の未来に思…
はるか昔から日本では、「動物」が美術や文学のモチーフとしてさまざまな形で描かれ、語られてきました。なかでも室町時代から語り継がれているお伽草子では、狐や鼠、猿、犬、鳥などの「動物」が登場し、人間に報いをもたらしたり、まるで人間のように振る舞ったり、あるいは人間と結婚したりと、実に多彩な姿で物語世界のなかに息づいています。「動物」が人びとにとって身近な存在であるとともに、自然に近い存在として人知を超えた不思議な力をもつと考えられており、その親愛と畏敬の念が物語という形で表されてきたのです。 本展では、そんな「動物」にまつわる昔話や説話を描いた絵巻や絵画、書冊など約150点を通して、現代にも受け継がれている日本の人びとの動物観を探り、日本文化史の一側面を捉えます。私たちにも馴染み深い「桃太郎」や「猿蟹合戦」などの昔話をはじめ、妖狐や白鼠をめぐる説話や、鳥や獣たちの歌合、そして、この世ならざる霊獣や珍獣の伝説など、多種多様な「動物」の絵物語をご紹介します。また、大阪・関西万博の開催にあわせて、異国から渡来して日本の人びとを大いに驚かせた動物たちの記録もご紹介し、「動物」をめぐる歴史…
大阪歴史博物館では、令和7年(2025)4月4日(金)から5月26日(月)まで、6階特別展示室において、特別展「-全日本刀匠会50周年記念-日本刀1000年の軌跡」を開催します。 鎬造(しのぎづくり)で反(そ)りのある美しい日本刀の姿が完成したのは平安時代のことと考えられています。以降現在に至るまで、先の大戦後の一時期を除き、日本刀は約1000年にわたり製作され続けてきました。 1000年もの間日本刀の製作が続いてきたのは、常にその時代に活躍していた刀匠が存在したからにほかなりません。現在の国宝・重要文化財も作られた当初は新作刀であったように、今まさに作り続けられている新作刀のなかにも未来の国宝・重要文化財となる作品があるかもしれません。 本展は、国内最大の現代刀匠たちの団体である全日本刀匠会が設立されてから50年を迎える節目を記念し、1000年を経て現代へとバトンが受け継がれる日本刀の世界をご紹介します。
スイス・ベルン生まれのパウル・クレー(1879-1940)については、過去に日本国内においても重要な回顧展が数多く開催されてきました。しかしそれら従来の展覧会において、彼が活躍した20世紀前半の美術動向や同時代に活躍したその他の作家との交流関係に限定すれば、必ずしも詳細な研究に基づく内容の展開の充実にまでは至っていませんでした。 同館を含め国内3館を巡回する本展では、ベルンのパウル・クレー・センターとの学術的な協力のもと、キュビスム、表現主義、ダダ、シュルレアリスムといったクレーと同時代の美術動向にも目を向け、他作家の作品とあわせて展示することで、クレーの独自性にとどまらずその同時代性や交流などにも焦点を合わせます。なお本展は同館では10年ぶりの開催のクレー展となります。
ポーランドの国民的作曲家フリデリク・ショパンが、祖国を離れた後、最終的にパリで生涯を過ごすことになったのは、1830年にワルシャワでおこった十一月蜂起と、翌年のその失敗が遠因でした。1795年にポーランドは、国土をロシア、プロイセン、オーストリアに分割占領され、世界地図からその姿を消すことになります。これ以後、祖国の独立を求める蜂起や反乱が繰り返されますが、その実現は1918年の第一次世界大戦終結を待たなければなりませんでした。この123年間、国を失った人々が自らのアイデンティティの拠り所としたのが、文学や音楽そして絵画などの芸術であり、言語や宗教を含む広義の文化でした。そしてその中心地として重要な役割を果たしたのが、古都クラクフです。 19世紀後半、ポーランドの歴史や文化的逸話を大きなスケールで描き名声を博したのがヤン・マテイコです。クラクフ美術学校校長を務めた彼のもとからは、数多くの若き芸術家たちが巣立ちます。彼らは、祖国の独立を願いつつ、そこに自らの個人としての心情を結びつけ、象徴性に富み色彩豊かな独自の芸術を、絵画のみならず応用芸術や文学をも含む広い分野で展開しました。〈…
東山焼は、文政5年(1822)に姫路城の南東に位置する、播磨国飾東郡東山村(現・兵庫県姫路市東山)の興禅寺山東麓で操業を始めました。当時、姫路藩の家老・河合道臣(1767〜1841)は、赤字に悩む藩の財政を立て直すため、姫路木綿や革製品などの特産品を全国に販売しましたが、東山焼にも着目して開窯当初から藩の管理下に置き、正貨の藩外流出にも意を払いました。 当時の高級ブランド品であった京焼の最新の意匠と、一大生産地の肥前有田から窯業技術を取り入れ、青磁や染付を中心に磁器から陶器まで多岐にわたって焼造しました。興禅寺山窯では青磁と染付を中心に、そして男山窯では染付が主に焼かれ、特に古染付写しや祥瑞写しなどの染付に優品が多く見られます。 幕末には姫路城下の豪商六人衆に経営が引き継がれ、明治4年(1871)の廃藩置県を契機に規模の縮小はみられるものの、明治時代にも作り続けられました。 永世舎は、明治10年(1877)に士族授産の目的で大蔵前町(現・塩町及び十二所前町)に設立されました。肥前大川内の陶工・柴田善平(生年不詳〜1902)の指導を仰ぎ、旧姫路藩士に加えて東山焼…
印象派を代表する画家のひとりであるクロード・モネ(1840-1926)は、光と色彩をとらえる鋭敏な眼によって、自然の移ろいを画布にとどめました。しかし後年になるにつれ、その芸術はより抽象的かつ内的なイメージへと変容してゆきます。 モネの晩年は、最愛の家族の死や自身の眼の病、第一次世界大戦といった多くの困難に直面した時代でもありました。そのような中で彼の最たる創造の源となったのが、ジヴェルニーの自邸の庭に造られた睡蓮の池に、周囲の木々や空、光が一体と映し出されるその水面でした。そして、この主題を描いた巨大なカンヴァスによって部屋の壁面を覆いつくす“大装飾画”の構想が、最期のときにいたるまでモネの心を占めることになります。本展の中心となるのは、この試行錯誤の過程で生み出された、2mを超える大画面の〈睡蓮〉の数々です。 今回、パリのマルモッタン・モネ美術館より、日本初公開作品を含むおよそ50点が来日。さらに日本各地に所蔵される作品も加え、モネ晩年の芸術の極致を紹介します。日本では過去最大規模となる〈睡蓮〉が集う貴重な機会となります。
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