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まだ恐怖の記憶は鮮明。6434人の死者、阪神・淡路大震災とも並ぶ太平洋戦争。空襲で5千人以上、7千から8千の死者とも。大輪田橋近辺は郭で働くたくさんの若い女性も。郭主、逃亡を恐れ、彼女らの部屋に施錠していたとか。石阪春生さん描く『バラ園と女性』、可憐な顔に似合わず時々、異様に力の入った手、指の表情の硬い絵がある。 神戸は昭和13年7月、阪神大水害に見舞われ、死者700人。妊娠中の母は押入れ上段から落ちて流産。「又、できますよ」と医者に慰められ、翌年9月に私が誕生。時世も悪く、私は午前は母と内科医、晩方は長兄と耳鼻科医へ。注射も嫌だが綿棒の細い器具の中耳炎治療の痛さ。夜の空襲警報での避難も含め、いつもビービー泣いてばかりだったとか。肋膜炎病上がりの長男、磨澄出征時、三宮プラットフォームで「ター坊は男の子やから泣いたらいかんよ」。その翌日から私はピタッと泣かなくなったとか。 長兄、中国から引揚げ途中病死。翌年5月に遺骨箱、岡山に。遺骨箱には小さなセロファン袋に微量の頭髪のみ。「誰のもんや判らへん」と次兄、和磨(1月25日死亡、享年94歳)が言った。
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